氾濫と治水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 23:11 UTC 版)
1952年(昭和27年)と1953年(昭和28年)に集中豪雨による大洪水が発生し、多くの橋を流失し災害対策が叫ばれ、ダムの建設が求められたが流域に適した地形がないため1974年(昭和49年)に犀川への分水路が完成し、増水時には犀川へ水を流す工夫がされた。 しかし、2008年(平成20年)7月28日には集中豪雨で55年ぶりに氾濫が起き、湯涌温泉とその下流、ひがし茶屋街の周囲(画像付近)が被害を受けた。一時、浅野川流域の約2万世帯5万人に避難指示が出された。この時、犀川への分水路が稼働したが、水が河川敷に達したことから、受け入れる水量が制限されていた。 ひがし茶屋街付近にある角落とし(堤防の切り欠き部にある鋼鉄の扉)への対応が遅れたことから、治水への対応への在り方が問われた。補償に関する協議が行なわれているが、県からは対応の遅れを認め謝罪があったものの、補償についての回答はされていない。
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