氷の海での漂流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/08 03:31 UTC 版)
「イニーアス・マッキントッシュ」の記事における「氷の海での漂流」の解説
1909年1月1日、ニムロドは遠征隊の岸の基地であるケープ・ロイズまでまだ25マイル (40 km) の位置で、氷に閉ざされた。マッキントッシュはその氷を徒歩で渡る決断をした。歴史家のボー・リッフェンバーグはその後の旅について「この遠征全体の中で最も思慮の足りない部分」と表現している。 マッキントッシュと3人の水夫で構成された隊は1月3日朝に船を離れた。物資と大きな郵袋を載せた橇を引いていた。直ぐに2人の水夫が船に戻り、マッキントッシュともう1人の水夫が先に進んだ。その夜は氷の上で宿営し、翌朝目覚めると自分たちの周りの氷が壊れているのを発見した。動いている浮氷に飛び乗り、何とか小さな氷舌にたどり着くことができた。彼らはそこで宿営し、数日間雪盲が収まるのを待った。視界が回復するとケープ・ロイズは見える範囲にあったが、そこに行くまでの海の氷が無くなっており、間には海しかなかったので近づけなかった。陸路伝いに進むしか選択の余地はなく、それは適切な装備と経験が無ければ危険なものだった。 1月11日、彼らは出発した。その後の48時間、深いクレバスや不安定な雪原のある険しい地形と格闘した。間もなく装備や物資の全てを見失ってしまった。ある時点では、前進するために3,000フィート (900 m) も上らねばならず、その後では雪の斜面を麓まで滑り降りた。最終的に霧の中を何時間もうろついた挙句、陸上部隊であるバーナード・ディと出逢う幸運に恵まれた。そこは小屋から直ぐの位置だった。船は後に放棄された装備を回収した。当時ニムロドの一等航海士だったジョン・キング・デイビスは「マッキントッシュはいつも100分の1の幸運に恵まれている男だ。この時もそれを生かした」と語っていた。 マッキントッシュは後にアーネスト・ジョイス達の隊に加わり、ロス棚氷からミナブラフへ旅し、シャクルトンの南極行隊のために物資を置いた。シャクルトン隊は南に進んでおり、その帰還が待たれていた。3月3日、マッキントッシュはニムロドの甲板で見張りをしている時に、炎を見てそれがシャクルトンとその部隊の無事な帰還の合図だと判断した。シャクルトンは目標としていた南極点の少し手前、南緯88度23分まで行って戻って来ていた。
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