毛文錫
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毛 文錫(もう ぶんしゃく、もう ぶんせき[注 1]、生没年不詳)は、中国五代十国時代の前蜀・後蜀の大臣、花間派詞人。字は平珪。高陽(現在の河北省保定市高陽県)の人。唐の太僕卿毛亀範の子。
注釈
出典
- ^ a b c 曾昭岷; 曹済平; 王兆鵬; 劉尊明 (2008) [1999]. 孫通海. ed. 全唐五代詞 (第2次印刷 ed.). 北京: 中華書局. pp. 528,529. ISBN 9787101016093.
- ^ a b c d 中田勇次郎『歴代名詞選』集英社〈漢詩大系〉、1965年、406-407頁。
- ^ 村上哲見、跋:小川環樹『李煜』岩波書店〈中國詩人選集〉、1959年、140頁。
- ^ 孔, 范今 (1998). 責任編輯 呉秉輝、郭継明. ed. 全唐五代詞釋注. 西安: 陝西人民出版社. pp. 1139-1140,1153. ISBN 7224046949.
- ^ 上掲、中田, 1965によれば、王国維の輯本では1首を増補しているという
- ^ 『資治通鑑』巻269「均王(上) 乾化四年」「峽上有堰,或勸蜀主乘夏秋江漲,決之以灌江陵。毛文錫諫曰:「高季昌不服,其民何罪!陛下方以徳懐天下,忍以鄰國之民為魚鱉食乎!」蜀主乃止(峡に堰あり、或は蜀主に勧めて、夏秋の江の漲るに乗じて、之れを決して江陵を灌がんと。毛文錫 諫めて曰く、「高季昌 服せざるも、その民 何の罪ぞ! 陛下 方に徳を以て天下を懐かんに、隣国の民を以て魚鱉の食と為すに忍びんか!」蜀主 乃ち止む)」
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