比志島義輝とは? わかりやすく解説

比志島義輝

陸軍中将日清戦争に労があった。昭和2年(1927)歿。

比志島義輝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/20 16:26 UTC 版)

比志島義輝

比志島 義輝(ひしじま よしてる、1847年10月11日弘化4年9月3日)- 1927年昭和2年)3月14日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将日本体育会体操学校(のちの日本体育大学)代表。

経歴

鹿児島県出身。比志島蔵の長男[1]

1885年(明治18年)7月、参謀本部第1局第1課長に就任。1886年(明治19年)5月、歩兵第19連隊長に転じ、1887年(明治20年)11月、歩兵大佐に昇進。1889年(明治22年)9月、歩兵第1連隊長となり、1892年(明治25年)9月、第4師団参謀長に異動したが、同年11月に休職。日清戦争末の1895年(明治28年)1月27日、後備歩兵第1連隊長として復帰し、同月31日、台湾混成支隊司令官に発令され、台湾に出征し澎湖諸島を占領(乙未戦争)。同年8月、陸軍少将に進級し台湾兵站監に就任。

1896年(明治29年)3月、台湾守備混成第3旅団長に移る。1898年(明治31年)4月、歩兵第15旅団長となり、1901年(明治34年)2月18日、予備役に編入[2]日露戦争勃発により1904年(明治37年)4月に召集を受け、鴨緑江軍隷下の後備歩兵第9旅団長に就任し奉天会戦などに参加。1906年(明治39年)2月17日に後備役編入となり[3]、同年2月27日、陸軍中将に進み[4]召集解除となった。1910年(明治43年)4月1日に退役した[5]

栄典

位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1885年(明治18年)11月19日 勲三等旭日中綬章[11]
1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章[12]
1895年(明治28年)12月4日 功四級金鵄勲章[13]
1896年(明治29年)11月25日 勲二等瑞宝章[14]
1906年(明治39年)4月1日 功三級金鵄勲章[15]
1906年(明治39年)4月1日 旭日重光章[15]
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[15]

脚注

  1. ^ 人事興信所 1915, ひ11頁.
  2. ^ 『官報』第5286号、明治34年2月19日。
  3. ^ 『官報』第6921号、明治39年7月25日。
  4. ^ 『官報』第6797号、明治39年2月28日。
  5. ^ 『官報』第8073号、明治43年5月23日。
  6. ^ 『官報』第176号「叙任」1884年2月2日。
  7. ^ 『官報』第1970号「叙任及辞令」1890年1月25日。
  8. ^ 『官報』第3799号「叙任及辞令」1896年3月2日。
  9. ^ 『官報』第5312号「叙任及辞令」1901年3月22日。
  10. ^ 『官報』第61号「叙任及辞令」1927年3月16日。
  11. ^ 『官報』第718号「賞勲叙任」1885年11月20日。
  12. ^ 『官報』第3838号・付録「辞令」1896年4月18日。
  13. ^ 『官報』第3732号「叙任及辞令」1895年12月5日。
  14. ^ 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
  15. ^ a b c 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。

参考文献




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