残された環礁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 06:23 UTC 版)
エニウェトクの戦いの後、アメリカ軍はマーシャル諸島各地で掃討戦を行った。一連の掃討戦で大きな戦いはなく、4月下旬までには終わった。経緯は以下のとおりである。 アルノ環礁:2月12日。無血占領 オトー環礁:3月9日から13日。不時着した日本機の搭乗員12名自決 ウジャエ環礁:3月9日から13日。気象観測員6名捕虜 ラエー環礁:3月9日から13日。無血占領 アイリングラップ環礁:3月22日から27日。ジャルートへ移動中の陸軍第122連隊第二大隊46名中37名戦死、9名捕虜 ナムー環礁:3月22日から27日。警察官と教員各1名、その妻子4名捕虜 ナモリック環礁:3月22日から27日 エボン環礁:3月22日から27日。日本兵5名と民間人20名戦死 キリ島:3月22日から27日 ビキニ環礁:3月29日 ビカール環礁:4月1日から5日 ウチリック環礁:4月1日から5日 タカ環礁:4月1日から5日 アイルック環礁:4月1日から5日 メジット島:4月1日から5日 ジェモ島:4月1日から5日 リキエップ環礁:4月1日から5日 ウジェラング環礁:4月22日。日本兵18名捕虜 一連の戦いの後、放置されたウォッジェ、ジャルート、ミリ、マロエラップの四環礁は、増強される航空兵力のための格好の「訓練地」として爆撃を受け続ける事となった。
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