残された旧町名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 15:57 UTC 版)
住居表示に関する法律が成立した1962年(昭和37年)以降、港区においても新たな街画が設定され、それまでの歴史ある町名が次々と消滅した。1978年(昭和53年)には、町名変更の実施率が97.4%に達していた。この際に最後まで残ったのが麻布狸穴町と麻布永坂町であり、これら2町の名称は現在まで存続することとなった。 これは、この町の住民であった世界経済調査会理事長・木内信胤が「歴史的にも古く、価値のある町名はきちんと後世まで残すべき」と、住居表示の施行を強行する行政に対して異を唱え、麻布永坂町に居を構える脚本家・松山善三が中心となって反対運動を行い、同じく同町のブリヂストン創業者・石橋正二郎らも改称に対して強固に異を唱えた結果である。
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残された旧町名
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住居表示に関する法律が成立した1962年(昭和37年)以降、港区においても新たな街画が設定されてそれまでの歴史ある町名が次々と消滅、1978年(昭和53年)には町名変更の実施率が97.4%に達していた。この際に最後まで残ったのが麻布永坂町と麻布狸穴町であり、これら二町の名称は現在まで存続することとなった。 これは、麻布狸穴町の住民であった世界経済調査会理事長・木内信胤が、「歴史的にも古く、価値のある町名はきちんと後世まで残すべき」と、住居表示の施行を強行する行政に対して異を唱え、脚本家・松山善三が中心となって、住民による反対運動が行われた結果である。麻布永坂町では、ここに居を構えるブリヂストン創業者・石橋正二郎をはじめ、蕎麦屋・永坂更級の主人らも住居表示の実施に対して強固に異を唱えた。
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