死の舞踏の絵画史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 17:34 UTC 版)
「死の舞踏 (美術)」の記事における「死の舞踏の絵画史」の解説
最初期の死の舞踏絵画としては、パリのサン・ティノサン教会内の墓地の壁に描かれたフレスコ画をあげる研究者が多い(1424年から1425年、現在はすでに撤去されている)。また、バーゼルのコンラート・ヴィッツ、リューベックのバーント・ノトケ(1463年)、ドイツのハンス・ホルバインによる木版画などもよく知られている。特にハンス・ホルバインによる一連の「死の舞踏」に関する木版画は、1524年に下絵が完成した後、印刷業者内で版権が争われるほどの人気だった。1538年に、版権を取得したリヨンの印刷業者から41枚の図版でセットで発売されたホルバインの版画は、好評を博し何度も版を重ねた。 また、イタリア地方ではペトラルカの歌集『凱旋』(I Trionfi、14世紀後半)の影響を受け、踊る骸骨ではなく、鎌などを振りかざした典型的な死神の図像が描かれるのが特徴的である。累々と続く死体の列の上を進む戦車上で死神が誇らしげに鎌を振りかざしている絵や、人々が集まる酒場に突然鎌を持った死神がやって来る絵などもある。これらは「死の舞踏」に対して「死の凱旋」、または「死の勝利」と呼ばれるが、広義の意味では一連の「死の舞踏」に含まれることが多い。 美術史研究者や歴史家などの間では、死の舞踏の図像学(イコノグラフィー)的解析が試みられており、一連の絵画から当時の人々の心性や死生観、ならびにキリスト教信仰の変遷の分析が現在も行われている。日本では2000年に国立西洋美術館で行われた企画展「死の舞踏 ― 中世末期から現代まで」が開かれ注目された。
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