歴史と廃墟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/11 02:54 UTC 版)
15世紀から、多くの戴冠式と結婚式がこの寺院で執り行われた。多くの弾圧や略奪も受けた。 イングランド王ヘンリー8世とエドワード・シーモアによる『手荒な結婚申し入れ(ラフ・ウーイング(英語版))』(まだ幼いメアリー1世と、ヘンリー8世の嫡子エドワードの結婚でスコットランド王位を手に入れようとした事件)の戦いの間、1544年にハートフォード伯により寺院は略奪の被害にあい、護国卿サマセット公は建物に損害を与えた。 ジェームズ7世(イングランド王としてはジェームズ2世)は、ホリールード宮殿にイエズス会派の大学を建て、1688年5月に寺院をローマ・カトリック教会の教会堂にさせた。プロテスタントの会衆らは自分たちの祈りの場として、新しいカノンゲイト教会を設立した。同じ年の11月、オラニエ公ヴィレム(ウィリアム3世として即位する)による名誉革命が起き、それまでのカトリック優遇への反動からエディンバラ市民は教会や王室納骨堂の略奪に走った。寺院の屋根を含む復興活動が1758年になされたが、屋根は1768年の大暴風で被害を受け、現在まで廃墟のままになっている。
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