歴代王朝へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 17:02 UTC 版)
秦の滅亡後は前漢に渡ったが、王莽の簒奪により新に移った。王莽が敗亡すると李松が更始帝(劉玄)に献上し、次いで更始帝が赤眉軍に降伏した事に伴って伝国璽もまた赤眉軍の皇帝劉盆子に移ったが、やがて光武帝(劉秀)が赤眉軍を降して天下を統一し、伝国璽を収めた。 その後は後漢の皇帝に代々引き継がれたが、献帝の時代に董卓が乱を起こした事により、玉璽は失われた。その後の動向は諸説あるが、徐璆は袁術の持っていた伝国璽を見つけ、許昌にいる献帝に返上した。 やがて魏から西晋へ渡り、永嘉の乱により前趙に渡った。前趙が滅ぶと後趙に移り、さらに冉閔の乱により冉魏に移った。前燕が冉魏の首都鄴を包囲すると、冉魏の大将軍蒋幹は東晋へ伝国璽を送って救援を要請した。これにより伝国璽は東晋に移り、その後は南朝六国に代々伝えられた。 その後は、隋、唐と受け継がれるが[要出典]、五代十国時代の946年に後晋の出帝が遼の太宗に捕らえられた時に紛失した。以後は行方不明となっており、後世の歴代王朝は漢代の玉璽を真似て作った(作られた)、模造品を本物の伝国璽として使用した。
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