歩兵第101連隊とは? わかりやすく解説

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歩兵第101連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 00:12 UTC 版)

歩兵第101連隊
創設 1937年
廃止 1940年
再編成 1940年12月
廃止 1945年
所属政体 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 東京府東京市赤坂区
神奈川県川崎市
中華民国江蘇省上海市
編成地 東京府東京市赤坂区
通称号/略称 鵄3062
上級単位 第101師団 / 第61師団
最終位置 中華民国江蘇省上海市
(現・ 中国
戦歴 日中戦争第二次世界大戦
第二次上海事変武漢作戦
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歩兵第101連隊(ほへいだい101れんたい、歩兵第百一聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革

復員
12月4日 - 歩兵第1連隊留守隊を基幹に改編され、再び軍旗を拝受され東京市赤坂区赤坂一ツ木町(現・赤坂サカスTBS放送センター)の近衛歩兵第3連隊兵舎に駐屯
3月 - 第61師団に所属変更
4月 - 大陸に派遣され、南京の警備にあたり、その間も隷下部隊は中支各地の作戦に転用される
  • 1945年(昭和20年)8月 - 終戦

歴代連隊長

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
第一次
1 加納治雄 1937.9.1 - 1937.10.11 戦死
2 飯塚国五郎 1937.10.14 - 1938.9.3 戦死
3 布施安昌 1938.9.5 -
4 原田新一 1939.3.9 -
5 下川義忠 1939.9.18 - 1940.2.24復員
第二次
1 加藤勝蔵 1940.8.1 -
2 羽鳥長四郎 1942.8.1 -
3 野村懋 1945.2.20 -

跡地

川崎市(現:高津区宮前区)移駐後の兵営(溝の口演習場)は戦後、東京急行電鉄が推し進めた多摩田園都市開発の一環として整備された。

連隊司令部跡地は川崎市に払い下げられ、川崎市立宮崎中学校が開校した。

参考文献

関連項目




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