下川義忠とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 下川義忠の意味・解説 

下川義忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 14:47 UTC 版)

下川 義忠
生誕 1886年4月2日
日本 東京府
死没 (1944-04-19) 1944年4月19日(58歳没)
中華民国
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1944年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

下川 義忠(しもかわ よしただ、1886年明治19年)4月2日[1] - 1944年昭和19年)4月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

1886年(明治19年)に東京府で生まれた[1]陸軍士官学校第21期卒業[2]1936年(昭和11年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に台湾軍司令部附となり[3]、台南高等工業学校に配属された[3]1938年(昭和13年)9月に歩兵第47連隊補充隊長に転じ[3]1939年(昭和14年)9月に歩兵第101連隊長(第11軍第101師団・歩兵第101旅団)に就任して日中戦争に出動[1][2][3]。贛湘作戦などで戦果を挙げ[2]1940年(昭和15年)2月24日堺連隊区司令官に転じ[3]8月1日に陸軍少将に進級した[3]

1942年(昭和17年)4月1日大阪連隊区司令官に就任[1]。同年12月1日第4師団兵務部長に転じ[1]1943年(昭和18年)9月に留守第4師団兵務部長となった[1]1944年(昭和19年)2月10日に第10野戦補充隊長として中国戦線に復帰したが[1]応城で勤務中の4月19日に死去[2][3]。同日任陸軍中将[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 377頁.
  2. ^ a b c d 福川 2001, 378頁.
  3. ^ a b c d e f g h 外山 1981, 270頁.

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  下川義忠のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「下川義忠」の関連用語

下川義忠のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



下川義忠のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの下川義忠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS