武田説以後の諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:57 UTC 版)
風巻景次郎は、現在の『源氏物語』には存在しない「輝く日の宮の巻」と「桜人の巻」の存在を想定し、それによって武田説に存在した「並びの巻」と「玉鬘系」の「ずれ」を解消し、「並びの巻が玉鬘系そのものであり、後記挿入されたものである」とした。 丸谷才一は大野晋との対談で、この説をさらに深め(1)b系は、空蝉、夕顔、末摘花、玉鬘を中心に源氏の恋の失敗を描いた帖であることが共通していること、(2)筆がa系よりもこなれており、叙述に深みがあることなどの点から、a系第一部の評価が高くなったのちに、今度は御伽噺の主人公のように完璧な光源氏(実際にa系の源氏はそう描かれている)の人間味を描くために書かれたのがb系ではないかと述べている。またb系には、のちに「雨夜の品定め」と呼ばれる女性論や、「日本紀などはただかたそばぞかし」と源氏に語らせた物語論もあり、独自の見解を提唱している。 斎藤正昭は、玉鬘系の巻々のうち玉鬘十帖などは紫の上系の巻々よりあとに書かれたが、帚木三帖は逆に紫の上系の巻々より前に書かれたとした。玉鬘系の巻々がいくつかに分割して挿入されたとする説には、このほかに、伊藤博による帚木三帖と末摘花を葵帖着筆前の挿入、蓬生および関屋を少女巻執筆後の後記挿入とする説などがある。 このほかにも、武田説が出てからはさまざまな論点から、武田説と同様に『源氏物語』が現行の巻の並び通りに執筆・成立されたのではないとする学説が続出した。
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