武器供与要請・誤報・蜂起
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 02:45 UTC 版)
「シャクシャインの戦い」の記事における「武器供与要請・誤報・蜂起」の解説
シャクシャインにオニビシを殺されたハエのアイヌは松前藩庁に使者を遣わし、報復のため武器の提供を希望した(調停を求めた)が、対立の深化を望まない藩側に拒否された、その帰路に、使者の一人でサル(現日高振興局沙流郡)の首長でオニビシの姉婿であったウタフが疱瘡にかかり死亡してしまった。このウタフ死亡の知らせが、「松前藩による毒殺」と流布された。この誤報によりアイヌ民族は松前藩、ひいては和人に対する敵対感情を一層強めた。これによって、シャクシャインは敵対していたシュムクルを筆頭に蝦夷地各地の各アイヌ部族へ松前藩への蜂起を呼びかけた。1669年6月21日(寛文9年6月4日) 、シャクシャインらの呼びかけによりイシカリ(石狩地方)を除く東は釧路のシラヌカ(現白糠町)から西は天塩のマシケ(現増毛町)周辺において一斉蜂起が行われた。決起した2千の軍勢は鷹待や砂金掘り、交易商船を襲撃した。突然の蜂起に和人は対応できず東蝦夷地では213人、西蝦夷地では143人の和人が殺された(大半が老人婦女子の非戦闘員で士卒は5名であった。犠牲者の総数は355人に上る)。
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