正史と演義における「劉岱」像
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「劉岱 (東萊)」の記事における「正史と演義における「劉岱」像」の解説
正史での劉岱は、初平3年(192年)に黄巾軍残党勢力と戦って戦死している。しかし、小説『三国志演義』ではまた違った運命を辿らされている。『演義』における劉岱は、青州黄巾党侵攻後も生存して曹操の家臣として仕え、徐州で曹操に謀反を起こした劉備と戦う。しかし、劉備配下の張飛の策で捕らえられ、後に曹操の元へ釈放される。また、曹操の怒りに触れ処刑されそうになっており、この時は孔融の取りなしで降格処分で済まされている。 何故この様に、正史と演義で全く別の人物像が出来上がったのか。近年の研究によると、正史における兗州刺史劉岱とは別に、曹操配下の武将に同姓同名でしかも字(あざな)までが同一という、「別人の劉岱」がいたからだと考えられる。これは名の「岱」の字が現在の山東省にある名峰泰山を意味し、且つ字(あざな)としてこの「岱」の字と掛けた「山」の字に、当時の字(あざな)の通例の一つに従って主に年長者、転じて長男という意味で用いられた「公」の字とを合わせてしまった為である。[要出典]つまり、兗州刺史の劉岱と曹操配下の劉岱は、全くの別人ということなのである。しかし、偶然にも名前だけでなく字までもが同じだったこと、兗州刺史劉岱戦死後に後任の刺史として曹操が任命され、曹操配下の劉岱も活躍の場を兗州へと移したこと等から両者が混同されるに至り、『演義』では二人の劉岱が同一人物として描かれてしまったようである。 典拠管理 VIAF: 4359148997686859870002 WorldCat Identities: viaf-4359148997686859870002
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