正史と演義における「劉岱」像とは? わかりやすく解説

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正史と演義における「劉岱」像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 18:34 UTC 版)

劉岱 (東萊)」の記事における「正史と演義における「劉岱」像」の解説

正史での劉岱は、初平3年192年)に黄巾軍残党勢力戦って戦死している。しかし、小説『三国志演義』ではまた違った運命を辿らされている。『演義』における劉岱は、青州黄巾党侵攻後も生存して曹操家臣として仕え徐州曹操謀反起こした劉備と戦う。しかし、劉備配下張飛の策で捕らえられ、後に曹操元へ釈放されるまた、曹操怒り触れ処刑されそうになっており、この時は孔融取りなし降格処分済まされている。 何故この様に、正史演義で全く別の人物像出来上がったのか。近年の研究によると、正史における兗州刺史劉岱とは別に曹操配下武将同姓同名でしかも字(あざな)までが同一という、「別人劉岱」がいたからだと考えられる。これは名の「岱」の字が現在の山東省にある名峰泰山意味し且つ字(あざな)としてこの「岱」の字と掛けた「山」の字に、当時の字(あざな)の通例一つに従って主に年長者転じて長男という意味で用いられた「公」の字とを合わせてしまった為である。[要出典]つまり、兗州刺史劉岱曹操配下劉岱は、全くの別人ということのである。しかし、偶然にも名前だけでなく字までもが同じだったこと、兗州刺史劉岱戦死後後任刺史として曹操任命され曹操配下劉岱活躍の場兗州へと移したこと等から両者混同される至り、『演義』では二人劉岱同一人物として描かれてしまったようである。 典拠管理 VIAF: 4359148997686859870002 WorldCat Identities: viaf-4359148997686859870002

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