歌舞伎・落語「地震加藤」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 21:33 UTC 版)
「慶長伏見地震」の記事における「歌舞伎・落語「地震加藤」」の解説
歌舞伎「増補桃山譚」(ももやまものがたり)の通称である。明治2年(1869年)東京市村座で初演された。 内容は、伏見大地震の時(真夜中)、石田三成の讒言で秀吉の怒りを買い閉門中の加藤清正が第一番に豊臣秀吉のいる伏見城へ駆けつけ、動けない秀吉をおんぶして脱出させ、閉門を解かれるという話である。 だが、地震発生から2日後の日付でこの地震について領国に伝えた清正自身の書状には、秀吉一家の無事であったことと、自分は伏見の屋敷がまだ完成していなかったために被害を免れたと記されており、更に京都から胡麻を取り寄せる予定であったことも書き加えられている。つまり、この地震の時に清正は伏見でも京都でもなく恐らく大坂の自分の屋敷に滞在していた(清正は大坂から伏見の秀吉を見舞ったことになり、時間を要することになる)とみられ、この逸話は史実ではないことが明らかといえる。
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