次世代エネルギーとしての原子力開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/15 10:22 UTC 版)
「フランスの大量破壊兵器」の記事における「次世代エネルギーとしての原子力開発」の解説
第二次世界大戦の終戦後、帰国した亡命科学者たちはシャルル・ド・ゴール首相に次世代エネルギーとなりえる原子力開発を進言した。これをうけて政府内に原子力委員会と引き続いてフランス原子力庁が創設された。ド・ゴール辞任後の社会党政権下でも引き続いて研究が進められた。 1948年12月15日に初めての重水炉が稼動し、翌1949年には微量のプルトニウムを抽出した。 原子力開発計画は3次にわたり進められ、 原子力開発第一次計画(1948年~1952年) 1952年7月 - 第1号実験用原子炉(5kW)がシャティヨンで完成。 1952年7月 - 第2号実験用原子炉(1,500kW)がサクレーで完成。 原子力開発第二次計画(1953年~1957年) 1956年1月 - 発電用炉第1号機 G-1(5,000kW)が完成 1957年 - 発電用炉第2号機 G-2がマルクールで完成(稼動は翌年から) 原子力開発第三次計画(1958年~1962年) 1958年 - 発電用炉第3号機 G-3がマルクールで完成(稼動は翌年から) 発電用炉3号機をもって原子爆弾製造への転用が可能となり、1958年にはフランスのプルトニウム生産量は年間で40kgに達した。
※この「次世代エネルギーとしての原子力開発」の解説は、「フランスの大量破壊兵器」の解説の一部です。
「次世代エネルギーとしての原子力開発」を含む「フランスの大量破壊兵器」の記事については、「フランスの大量破壊兵器」の概要を参照ください。
- 次世代エネルギーとしての原子力開発のページへのリンク