槻の位置について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 20:15 UTC 版)
前述のように槻の所在は明らかになっていないが、以下に絞られたとされる。 砂利敷欠落遺構 2012年(平成24年)の調査で発見された砂利敷の欠落で、6mほどの規模で飛鳥寺西門の西正面41.5mの位置にある。遺構の四方に樹根状に欠落が伸びており、人為的に掘られたものではないとされる。近くには井戸の跡と思われる円形の欠落もあった。『古事記』などの神話世界では聖樹のそばには泉や井戸が対になって存在するとされる。また周辺では祭祀に用いられたと思われる遺物も確認された。ただし、欠損部から樹根の痕跡などは検出されず、井戸も作られた時期が不明で確証は得られなかった。 入鹿の首塚 入鹿の首塚と言われる五輪塔は飛鳥寺西門から西へ23mほどの位置にある。五輪塔は鎌倉末期から南北朝時代に築かれたと考えられるが、詳細は不明である。最古の史料は1751年(寛延4年/宝暦元年)の『飛鳥古跡考』に蘇我入鹿大臣石塔と記されてもので、現在に至るまで蘇我入鹿の関連遺跡とされてきた。現在は史跡飛鳥寺跡の飛び地で周囲に板石を敷き詰めるなど整備がされているが、地中の調査は行われていない。この五輪塔を槻の供養の為に建立したとする説がある。
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