構築の理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 04:54 UTC 版)
樽本地区(上樽本)は標高700m前後に位置する、険しい山中にある集落である。開発は古く、室町時代ころと言われている。険しい山中のため、農業用水は乏しく、これが原因となって水田開発は遅れを見せていた。木賀三四郎家や、その他の三地主・自作農家の20数戸は飯米以外の残った余裕米を換金することが出来たものの、先の農家以外の30数戸はようやく飯米を確保できる程度であった。そのために、多くの人々が山に分け入り、炭焼きを行なったり、畑作に力を入れたりしていた。 樽本地区に川が無いわけではなかったが、すべて農業用水としては不向きで、殆どの水田が湧水や溜池の水を使っていた。溜池は雪融け水や雨水を利用したものであったため、日照り続きの年などは、大打撃を受けた。 明治19年に、斑尾川からの灌漑用水を引くため、木賀三四郎は国鉄高崎線の延長(後の信越本線・横軽区間)上にある、碓氷トンネル工事にヒントを得て、私費でこの難事業を起こした。
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