榎戸第4遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 23:34 UTC 版)
榎戸第1遺跡と平行して調査が行われた遺跡で、踏査時に「12地点」と呼ばれた範囲である。日野町字榎戸4461~71番地の標高70~80mの丘陵に位置した。この丘陵斜面に刻まれ畑になっている小谷に、縄文土器が散在することから、この谷での発掘が行われていたが、谷の上に広がる僅かな平坦面にも遺物が分布し、谷間の遺物は平坦面からの2次的な流入物とわかったため、平坦面に調査地を切り替え(12´地点)、住居床面と見られる遺構や焼土も検出し始めていた。 しかし、調査団は榎戸第1遺跡の調査に人手を要したため、第4遺跡を度々中断し、人員の増援が得られた時だけ第4遺跡(12´地点)の調査に入るという体制を取らざるを得なかった。ところがその隙をついて、近くの山手学院高等学校(報告書『港南台』では誤記で「山手学園」になっている)の歴史研究部の生徒たちが調査区に侵入し、出土状態を保全していた遺物を学校に持ち去ったうえ、調査途中の遺構を「乱掘」するという事件を起こし、考古学上の記録資料としての価値を喪失させてしまった。このため遺構に関する記録が報告書に全く掲載されておらず、持ち去られなかった一部の遺物についてのみの概要と無念の所感が報告されている。遺物様相から縄文時代後期の堀之内式期の遺跡だったと推測された。
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