概歴・由緒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 03:11 UTC 版)
当社は、古く多摩川のほとり(杉森の地)に鎮座していた第六天社(後の國領神社)と神明社(八雲神明社または杉森神明社とも)の二社を合祀し、「國領神社」と総称される神社である。元の二社については、共に創建年代が不明となっている。また、氏子の地域は国領町、八雲台、染地に及んでいる。 第六天社(後の國領神社)の由緒 第六天社は鎌倉時代の頃、多摩川のほとりの「杉森の地」に鎮座していた。薬師如来の守護神たる十二神将の中の第6番目に位する第六天神を祀り、薬師寺(現常性寺)の管理下に置かれていたが、寛永17年(1640年)頃に常性寺が街道筋(甲州街道)に移るに際して共に国領町184番地(現在の八雲台1丁目・八雲台小学校裏の都営住宅の地点)へ遷座した。この遷座は度重なる洪水のために行われたもので、以降は国領の鎮守社となった。その後、明治の神仏分離によって同寺から分離され、明治4年(1871年)10月には村社(旧社格)に列格、さらに同8年(1875年)に「國領神社」へと改称し、祭神を神産巣日神とした。 神明社の由緒 神明社もかつては多摩川のほとりの「杉森の地」に鎮座し、「八雲神明社」または鎮座地に因んで「杉森神明社」とも呼ばれていた。荻窪・小川・小林等の一族が鎌倉よりこの地に移住し創建したと伝えられる。祭神は当初建速須佐之男命のみを祀り、第六天社と同様に薬師寺の管理下に置かれていたが、寛永17年の同寺移転に併せて国領町182番地(現在の国領町1丁目・現在地)へ遷座、明治42年(1909年)11月17日に天照大御神の神霊を迎えて合祀した。 両社の合祀・社殿の造営 旧國領神社の境内地近辺にて都営住宅の建築計画が持ち上がり、やむなく同社の土地を移譲することとなった。このため、昭和38年(1963年)10月12日には神明社の土地に旧國領神社を迎え、新たな社殿を造営した上で両社を合祀し、社名については「國領神社」を受け継いでいる。
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