桜寄贈計画の再始動
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この知らせを聞いた関係者は落胆したが、尾崎は高峰博士の支援のもと再度桜の寄贈を決定した。また、ニューヨークハドソン河開発300周年の記念式典に向けさらに3000本、合計6000本の寄贈が決まり、こんどの寄贈は綿密に計画された。 まず1910年(明治43年)3月、農商務省農事試験場長の古在由直農学博士から害虫駆除、苗木づくりについて助言を受け、旧清水市興津にある農商務省農事試験場園芸部が苗木づくりにあたった。苗木は台木として兵庫県川辺郡東野村(現・伊丹市)の山桜からの挿し木で準備され、これに植物学者の三好学、品川三ツ木にあった妙華園の河瀬春太郎らの協力の元、荒川堤の桜並木が興津に集められて台木に接ぎ木された。集められた桜の種類は12月には59種類にもなった。翌年2月14日、ソメイヨシノ1,800本、カンザン350本、イチヨウ160、タキニオイ140本、シラユキ130本、フゲンゾウ120本、アリアケ100本、ジョウニオイ80本、フクロクジュ50本、スルガダイニオイ50、ギョイコウ20本、ミクルマガエシ20本の計12種類、3020本の桜の苗木が阿波丸(英語版)に乗せられ横浜港を出航、アメリカのシアトルまで輸送された後、鉄道を経由して3月26日にワシントンD.C.に到着した。
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