桑田 常信(くわた じょうしん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:17 UTC 版)
「鉄鼠の檻」の記事における「桑田 常信(くわた じょうしん)」の解説
48歳。四知事・典座。曹洞宗。実家は寺ではなく、現実逃避で大学生だった昭和元年に自ら望んで出家した。厳格な師の下で10年修行するもどこにも到れず、そのまま昭和10年に名慧寺へと遣わされる。大戦を経て、高僧が幾ら厳しい修行を積んでも世の中は少しも良くならないことで迷いを感じている。了稔を嫌い、氷炭相入れずという関係であったが、脳波測定実験に関してだけは意見が一致していた。実験に賛同した了稔と泰全が相次いで殺害されたことで、次は自分が殺されるのではないかと恐慌を来たし、鉄鼠に憑かれ、自分が殺されると怯える。
※この「桑田 常信(くわた じょうしん)」の解説は、「鉄鼠の檻」の解説の一部です。
「桑田 常信(くわた じょうしん)」を含む「鉄鼠の檻」の記事については、「鉄鼠の檻」の概要を参照ください。
桑田 常信(くわだ じょうしん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 14:55 UTC 版)
「百器徒然袋――雨」の記事における「桑田 常信(くわだ じょうしん)」の解説
臨済宗の僧侶。『鉄鼠の檻』の事件を経て箱根山の寺を降り、英生を兄弟子に任せて鉄信と共に越後の寺へ入山し、今は全国を回る役割を任される。知り合いになった中禅寺を訪ねてきた。18年ぶりに連絡を取った旧友の古井亮沢の去就に疑問を持ち、榎木津に調査を依頼する。
※この「桑田 常信(くわだ じょうしん)」の解説は、「百器徒然袋――雨」の解説の一部です。
「桑田 常信(くわだ じょうしん)」を含む「百器徒然袋――雨」の記事については、「百器徒然袋――雨」の概要を参照ください。
- 桑田 常信のページへのリンク