桃太郎の誕生地としての伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:46 UTC 版)
「庵戸宮」の記事における「桃太郎の誕生地としての伝説」の解説
孝霊天皇の皇子・彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)、稚武彦命の兄弟は、大和政権の将帥(四道将軍)として温羅と呼ばれる製鉄に優れた吉備国の武装勢力(地方豪族やそれに与する渡来人の集団と考えられている)を制圧するために吉備国に遠征しこれを平定したといわれている。さらに、両皇子の軍勢は讃岐国、出雲国にまで侵攻し、大和政権の支配を拡大させたと考えられている。ちなみに、このとき両皇子が連れて行った犬飼部、猿飼部、鳥飼部とよばれる役職の家臣の一人が、元首相犬養毅の祖先ともいわれる犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)であったといわれている。 このような両皇子の活躍や当時の大和政権と吉備国との対立構図が、後世の桃太郎伝説の基礎となったのではないかとの見方が有力視されている。これに関連してか、現在でも岡山県(吉備国)や香川県(讃岐国)では、両皇子をモデルとする桃太郎伝説や温羅を鬼とみなす伝説の伝承地が複数個所存在する。また、庵戸宮のある田原本町周辺は古く『万葉集』にも詠まれた桃の名所としても知られている。これらの古の伝承に由来して、両皇子の故郷ともいえる庵戸宮が桃太郎の生誕地として現在にも伝えられている。 さらに、孝霊天皇自身による鬼退治の伝説や、庵戸宮近くを流れる大和川(初瀬川)周辺に伝わる伝説も、庵戸宮が桃太郎ゆかりの地であると知られる由縁となっている(ただし、前述のように『記紀』の信頼性を疑う見方や、あくまで後世の創作物であることから、桃太郎伝説の由来については本項と異なる説が全国に複数存在する)。
※この「桃太郎の誕生地としての伝説」の解説は、「庵戸宮」の解説の一部です。
「桃太郎の誕生地としての伝説」を含む「庵戸宮」の記事については、「庵戸宮」の概要を参照ください。
- 桃太郎の誕生地としての伝説のページへのリンク