桃園の誓い
(桃園三結義 から転送)
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桃園の誓い(とうえんのちかい)は、桃園結義(とうえんけつぎ)とも称され、『三国志演義』などの序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話のことである。
これは正史の『三国志』にない逸話であって創作上の話であるとされており、劉備が2人に兄弟のような恩愛をかけ、関羽・張飛は常に劉備の左右に侍して護り、蜀漢建国に際して大いに功績があった、という史実に基づいて作られた逸話である。
三国志演義
「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし。」
念劉備 關羽 張飛 雖然異姓 既結為兄弟 則同心協力 救困扶危 上報國家 下安黎庶 不求同年同月同日生 只願同年同月同日死 皇天后土 實鑒此心 背義忘恩 天人共戮
エピソードの概略
所は涿県(たくけん)。
黄巾軍対策の義兵を募集している高札の前で劉備がため息をつくと、「大の男が世のために働かず、立て札の前でため息とは情けない」と声をかけてきたのが身長八尺(約184cm) 豹頭環眼 燕頷虎鬚 聲若巨雷 勢如奔馬という男、張飛であった。劉備が自分がため息をついたのは己れの無力に気付いたためだと言うと、張飛はそれなら自分と一緒に立ち上がろうと酒に誘う。訪れた酒場で彼らは、身長九尺(約208cm) 髭長二尺(約46cm) 面如重棗 唇若塗脂 丹鳳眼 臥蠶眉 相貌堂堂 威風凛凛という赤ら顔と見事な髯を持つ一人の偉丈夫、すなわち関羽と出会い意気投合する。
張飛の屋敷の裏の桃園で義兄弟の誓いを交わした三人は、彼らの呼びかけに応じた者達と酔いつぶれるまで酒に興じた。その翌日、人が集まったは良いが軍馬が無いことに気づくが、偶然近くを訪れた馬商人張世平と蘇双に馬や軍資金などを援助してもらう。そして劉備は
三国志平話
話說一人、姓關名羽、字雲長、乃平陽蒲州解良人。生得神眉鳳目、虬髯、面如紫玉、身長九尺二寸。喜看『春秋左傳』、觀亂臣賊子傳、便生怒惡。因本縣官員貪財好賄、酷害黎民。將縣令殺了、亡命逃遁、前往涿郡。
不因躱難身漂潑 怎遇分金重義知
却說有一人、姓張名飛、字翼德、乃燕邦涿郡范陽人也。生得豹頭環眼、燕頷虎鬚、身長九尺餘、聲若巨鐘、家豪大富。因在門首閑立、見關公街前過、生得狀貌非俗、衣服襤褸、非是本處人。縱步向前、見關公施禮。關公還禮。飛問曰、「君子何往、甚州人氏。」關公見飛問、觀飛貌亦非凡、言曰、「念某河東解州人氏。因本縣官虐民不公、吾殺之、不敢郷中住、故來此處避難。」飛見關公話畢、乃大丈夫之志、遂遨關公於酒肆中。飛叫量酒、「將二百錢酒來。」主人應聲而至、關公見飛非草次之人、說話言談便氣和。酒盡、關公欲待還盃、乃身邊無錢、有艱難之意。飛曰、「豈有是理、再叫主人將酒來。」二人把盞相勸、言語相投、有如契舊。正是、
龍虎相逢日、君臣慶會時。
說起一人、姓劉名備、字玄德、涿州范陽縣人氏。乃漢景帝十七代賢孫、中山靖王劉勝之後。生得龍準鳳目、禹背湯肩。身長七尺五寸、垂手過膝、語言喜怒、不形于色。好結英豪、少孤與母織席編履爲生。舎東南角籬上、有一桑樹、生高五丈餘、進望見重重、如小車蓋。往來者皆怪此樹非凡、必出貴人。玄德少時、與家中諸小兒戲於樹下。「吾爲天子、此長朝殿也。」其叔父劉德然見玄德發此語曰、「汝勿語戲吾門。」德然父元起、起妻曰、「他自一家、趕離門戶。」元起曰、「吾家中有此兒、非常人也。汝勿發此語。」年十五、母使行學、事故九江太守盧植處學業。德公不甚樂讀書、好犬馬、美衣服、愛音樂。當日因販履於市賣訖、也來酒店中買酒喫。
關、張二人見德公生得狀貌非俗、有千般說不盡底福氣、關公遂進酒於德公。公見二入狀貌亦非凡喜甚、也不推辭、接盞便飲。飲罷、張飛把盞、德公又接飲罷。飛遨德公同坐。三盃酒罷、三人同宿昔交、便氣合。有張飛言曰、「此處不是咱坐處、二公不棄、就敝宅聊飲一盃。」二公見飛言、便隨飛到宅中。後有─桃園、園内有一小亭、飛遂遨二公亭上置酒、三人歡飲。飲間、三人各序年甲。德公貴長、關公爲次、飛最小。以此、大者爲兄、小者爲弟。宰白馬祭天、殺烏牛祭地。 不求同日生、只願同日死。三人同行同坐同眠、誓爲兄弟。 — 第至治新刊全相平話三國志 巻之上[1]
『三国志平話上巻』に上記のエピソードがある。またこのことを後に張飛は桃園結義と呼んでいる。
柴堆三国
中国民間伝承の三国志を柴堆三国という。その中では兄弟の順位を決めるのに桃の木に最も高く飛びついたら兄になるというユーモラスなエピソードになっている。また、清の梁章鉅『歸田瑣記』に引用される「關西故事」にも関羽の前身と「張飛井戸[2]」などを含む桃園の誓いの伝承が記述されている[3]。
花関索伝
関羽の架空の息子・関索を主人公にした『花関索伝』の『新編全相説唱足花関索出身伝 前集』では、劉備、関羽、張飛は青口桃源洞にある子牙廟で義兄弟の契りをむすんだ。その時に関羽と張飛は後のために互いの家族を殺そうとした。張飛は関平を殺せず供とし、関羽の夫人・胡金定をも逃げさせた。妊娠していた胡金定が生んだのが後の関索でありここから関索の活躍が始まる[4]。
民間での発展
三義廟
『成都武侯祠』内にある、桃園結義を記念して建立された廟。元は四川省成都市中区の提督街に、清代の康熙年間に創建されたが、都市拡張のため、現在の位置に移築された。廟内には劉備・関羽・張飛の塑像が祀られている(→成都武侯祠#三義廟)[5]。
四兄弟
清代に誕生した京劇などの演劇では、劉備・関羽・張飛の3人に加え、趙雲が桃園結義の4人目の兄弟「四弟」と呼ばれている[6]。しかし、彼らがどのような経緯で桃園結義を行い、義兄弟の契りを結んだかについては演目内では描かれていない[7]。
民間伝承においても、彼らを四兄弟とした物語がいくつも存在している。その中のひとつ、河北省正定県に伝わる民間伝承では、劉備一行が袁紹に身を寄せようとして、真定府城南の道端で休憩をしようとした所、劉備は畑に置かれた巨大な鉄製の鍬を見つけて大いに驚き、関羽が試しに持ち上げると、そのあまりの重さに感服する。そこへ鍬の持ち主である趙雲が現れると、その威厳ある風貌に劉備は憧念を抱き、お互いの身上を語り合ったところ、4人は意気投合し、金蘭の契りを結んで義兄弟になった、とある[8][7][注釈 1]。
講談[10]や小説[11]にもその影響が見え、「四兄弟」とした『三国志演義』の派生作品が現代中国においても複数確認できる[12]。テレビドラマの『三国志 Three Kingdoms』においても、劉備が趙雲を「四弟」と呼び、劉備が曹操に敗北して散り散りになった兄弟と再会した際、4人が桃園の誓いを改めて行い、酒を酌み交わす描写がある[13]。そのほか、アメリカの中華街などに存在する華僑の世界的な氏族団体組織『龍岡親義公所』(英:Four Brothers)は、劉・関・張・趙の四姓を義兄弟の契りを交わした共通の先祖と仰ぎ、その古廟は康熙元年(1662年)、中国の広東省開平市に開設されたという[14]。
趙雲が彼らの義兄弟「四弟」になった経緯は、『演義』で関羽が五虎大将軍に任命された際、老将の黄忠が同列になることを不満に思った関羽の言葉「子龍(趙雲の字)は我が兄(劉備)に長く仕えたので、私の弟も同然だ」[15]の発言が起源と見られ、さらに『演義』で関羽と張飛にも劣らない忠義を趙雲が示したことから、「彼を桃園の義兄弟に入れてあげたい」という人々の願いが反映され、この呼び名や設定が広まったと考えられている[16]。
三国志をモデルにした作品における演出
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- パチンコ三国志-英雄集結(ニューギン・2015年) - 大当りラウンド中に桃園の誓い演出が登場、上記三国志演義のセリフをそのまま登場させている。
- 三国志 (横山光輝の漫画) - 作中の1シーンとして登場。セリフはアレンジされており、「我ら天に誓う。我ら生まれた日は違えど、死すときは同じ日・同じ時を願わん。」となっている。
- CR一騎当千 Survival Soldier 2(高尾、2013年) - 三国志の現代版。通常時の発展演出として登場しており、セリフは上記の漫画横山版と同じものである[17]。
脚注
注釈
出典
- ^ “第至治新刊全相平話三國志 卷之上”. 中国の民間信仰と道教. 関西大学・文学部・二階堂研究室. 2010年7月31日閲覧。
- ^ 三国志の劉備の故郷、桃園結義の「楼桑村」
- ^ KADOKAWA 1996, pp. 24–25.
- ^ KADOKAWA 1996, p. 88.
- ^ 甘・梅 2001, p. 17.
- ^ 京劇「甘露寺」ほか。
- ^ a b 葉 2023, pp. 64–68.
- ^ 王 1984, pp. 125–127.
- ^ 葉 2023, p. 67.
- ^ 袁闊成『評書「三国演義」』〈第48集・離河北劉関張重逢〉中央人民広播電台、1984年。
- ^ 張国良「第十四回:趙子龍救主回営・張翼德拒水断橋」『長編平話三国 〈巻四:長坂坡〉』上海文芸出版社、1988年。
- ^ 葉 2023, p. 64.
- ^ テレビドラマ『三国志 Three Kingdoms』〈第26話:古城に再会す〉。
新井邦弘 編『三国志 Three Kingdom公式ガイドブック(上巻)』学研〈学研ムック〉、2011年。p.106. - ^ 『世界龍岡親義公所』ウェブサイトを参照。
- ^ 『三国演義』第73回〈玄德進位漢中王・雲長攻拔襄陽郡〉。「子龍久隨吾兄,即吾弟也」
- ^ 葉 2023, pp. 67–68.
- ^ 【CR一騎当千SS2 WAA】プラチナゼブラ 桃園の誓い 一騎当千リーチ ゴールドタイガーシャッター! - YouTube、2016年8月7日閲覧。
参考文献
日本語文献
- 『決定版「三国志」考証事典』KADOKAWA(新人物往来社)、1996年。ISBN 9784404024091。
中国語文献
- (講述)王観禄、(記録)王京瑞 編「伝説〈歴史人物伝説〉」『中国民間文学集成〈正定県故事巻〉』河北省石家荘市正定県三套集成委会、1984年、110-164頁。
- 甘露、梅錚錚『神游三国 蜀漢遺跡導游』四川文芸出版社、2001年、3-17頁。 ISBN 9787541119576。
- 葉威伸『武神伝説:歴史記憶与民間信仰中的趙雲』文津出版社、2023年、64-68頁。 ISBN 9789863391326。
論文・研究
- 上田望「明代における三国故事の通俗文芸について-『風月錦嚢』所収『精選続編賽全家錦三国志大全』を手掛かりとして-」『東方學』第84号、東方学会、1992年、81-94頁。
- 中川諭「「桃園結義」の物語」『新大国語』第26号、新潟大学教育学部国語国文学会、2000年、21-35頁。
- 中川諭 (1998年4月1日). “元代における「三国物語」と『三国志演義』の成立”. KAKEN. 2025年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月1日閲覧。
関連項目
外部リンク
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