栽培の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 23:56 UTC 版)
遠江国は温暖で雪が降らず、御前崎など海岸附近は水はけのよい砂地であることから、期せずして薩摩藩と気候がよく似ており、サツマイモの栽培に適した環境であった。また、遠江国の東部は度々旱魃に悩まされてきたが、サツマイモは日照りや水不足にも強い作物である。その結果、遠江国ではサツマイモの栽培が大いに広まることになった。 遠江国でサツマイモの栽培が一般化したのち、今度は御前崎の西に隣接する白羽村の栗林庄蔵が切り干し芋の原型を考案した。サツマイモを茹でて乾燥させることで、保存性が向上し甘みも増大することから、切り干し芋は好評を博し広く普及した。さらに、今度は茨城県から来た船が静岡県沖で難破したところ、救助された照沼勘太郎が切り干し芋の存在を知り、やがて茨城県に帰ると干しいもの製造を開始した。のちに茨城県では干しいもの生産が本格化し、やがて全国有数の産地となった。このような経緯から、乾燥させたサツマイモの生産量はもともと静岡県が全国一位であったが、やがて茨城県が全国首位の座を奪っている。このように、権右衛門が謝礼金を断ったことに端を発した御前崎でのサツマイモ栽培は、やがて静岡県や茨城県の農業や食品加工業に極めて大きな影響を与えるに至った。
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