校外活動と外出・外泊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:49 UTC 版)
「日本女子体育専門学校 (旧制)」の記事における「校外活動と外出・外泊」の解説
トクヨは校内での授業ばかりでなく、早慶戦の応援見学、東京市街の見物、講演会めぐりなどの校外での活動も多く取り入れた。これは幅広い教養を身に付けさせることが目的であり、来客用の果物を買いに行かせるという名目で、千疋屋に行かせて銀座を生徒に見聞させることがあった。生徒を外部の危険から守るため、土日の外泊は近親者宅に行くことのみ許可し、その前にはよく注意して聞かせた。門限も厳しく、時間ぴったりに閉門していた。生徒は門限に遅れてしまった場合、走高跳の要領で助走をつけて門を跳び越え、ひらりと身をかわして校内に戻った。 校門は普段固く閉ざされており、用事のある者は横の玄関口に回って塀をノックし、小窓から顔を出した案内人の入校許可を得る必要があった。この時、学校に関係のない人物と見なされると、号令練習で鍛えた大声で追い返されたという。 校外実習では、1934年(昭和9年)1月に新潟県の岩原スキー場にて生徒が水着1枚でスキーや体操を行ったという記事が読売新聞に出ている。記事によれば、松澤初穂の号令で生徒らは一糸乱れぬ体操を行った後、縦横無尽にスキーで斜面を滑走したといい、これを取材した稲葉特派員は「日本女性の未来に大いなる力強さを覚えた」と感想を綴っている。記事中には「裸体スキー」という表現が用いられているが、その光景に不純さはなく健康美にあふれていたといい、日本では初めてだが北欧では盛んに行われていると報じた。
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