松田巌 (陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松田巌 (陸軍軍人)の意味・解説 

松田巌 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 04:54 UTC 版)

松田 巌
生誕 1895年2月23日
日本 石川県
死没 (1979-03-26) 1979年3月26日(84歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1916 - 1945
最終階級   陸軍中将
テンプレートを表示

松田 巌(まつだ いわお、1895年明治28年)2月23日[1] - 1979年昭和54年)3月26日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

石川県出身[1][2]1916年大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業[1][3]。同年12月、歩兵少尉に任官[3]1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業して後に陸軍運輸部に配属された[1][2][4]1926年(大正15年)3月、大尉に昇進[5]1932年昭和7年)2月、陸軍歩兵学校教官兼野戦砲兵学校の研究部部員を経て[6]、同年4月、少佐に昇進した[5]1933年(昭和8年)8月1日、陸軍習志野学校教官兼研究部部員に就任[5]1936年(昭和11年)8月、中佐に進級し第19師団参謀を務めた[要出典]

1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進し歩兵第86連隊長に就任し日中戦争に出征[1][2]杭州に駐屯した[1]第110師団参謀長を経て[1]1940年(昭和15年)12月、陸軍公主嶺学校教官に異動[2]1941年(昭和16年)10月、第23師団参謀長となり太平洋戦争を迎えた[1][2]1942年(昭和17年)8月、陸軍少将に進級し、同年9月、第14歩兵団長に就任[1][2]1943年(昭和18年)2月、第4船舶団長(船舶司令部)に移り、ニューブリテン島に出征した[1][2]。同年10月、第65旅団長に就任し[2]ツルブの戦いの指揮を執る[1]。のちに転進しラバウルの守備を担った[1]

1945年(昭和20年)4月、陸軍中将に進み終戦を迎えた[1][2]1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[7]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本陸軍将官辞典』678頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』394頁。
  3. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』388、394頁。
  4. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、576頁。
  5. ^ a b c 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』(昭和9年9月1日調)127コマ
  6. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』(昭和7年9月1日調)149コマ
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松田巌 (陸軍軍人)」の関連用語

松田巌 (陸軍軍人)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松田巌 (陸軍軍人)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松田巌 (陸軍軍人) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS