松尾小笠原氏の恵那郡撤退
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「遠山景前」の記事における「松尾小笠原氏の恵那郡撤退」の解説
景前が岩村遠山氏の当主であった天文3年(1534年)小笠原貞忠は信濃府中家の小笠原長棟に松尾城を攻められると敗れ、甲斐武田氏を頼って逐電したので、遠山氏は恵那郡中部(現在の武並駅~中津川駅あたり)の旧領を取り戻し岩村遠山氏は再び勢いを復活した。(苗木遠山氏は依然木曽氏の傘下にあった)。景前は一時期衰微していた菩提寺の大圓寺に甲斐恵林寺を再興した名僧の明叔慶浚を招いて再興し、天文7年(1538年)には、景前と思われるが、恵那市大井町の武並神社に梵鐘を寄進した。その銘には「濃州恵那郡遠山荘大井郷正家村武並大明神之鐘 天文七年戊戌七月十二日鋳之」とあった。(厳邑府誌)。また天文16年(1547年)の冬、岩村城内に八幡神社を造立する。その棟札には「遷宮師 棟梁熱田宮住人 粟田源四郎守次」「奉造立八幡宮社頭一宇 大旦主 遠山左衛門尉景前 敬白」「大工 三郎右衛門宗教 天文十六年丁未霜月十日」(厳邑府誌)とある。
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