松尾小笠原氏の流浪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:41 UTC 版)
松尾小笠原定基は、娘を木曽義在に嫁がせて木曽氏と婚姻関係となり東濃の領地を維持し、府中小笠原長朝の侵攻を撃退し、三河国にも遠征したが、天文3年(1534年)、子の松尾小笠原貞忠が府中小笠原長棟(貞朝の子)や鈴岡小笠原氏の親族の下条氏に攻められて松尾城が落城し、甲斐国に落ち延びた。 天文23年(1554年)、松尾小笠原信貴(定基の子)・小笠原信嶺父子が武田氏の伊那侵攻で信濃先方衆として活躍し、松尾城を回復した。小笠原信嶺はその後、織田信長の甲州征伐の時には織田氏に降伏し、本能寺の変の後、徳川氏の家臣となった。徳川家康の関東移封の際、武蔵国本庄城に移り、1万石ながら大名となった。
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