松尾小笠原氏の江戸時代
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江戸時代には、小笠原信之(信嶺の婿養子)がそのまま譜代大名となり、この家系は本庄、古河、関宿、高須を経て、越前国勝山(現在の福井県勝山市)2万2000石に移った。元弘3年(1333年)の小笠原宗長宛て足利高氏の書状に始まり、天正3年(1575年)の小笠原信嶺宛て武田勝頼の書状まで、信濃守護小笠原氏が伝えた計185通の文書群『勝山小笠原文書』はこの家系に伝わり、のちに東京大学史料編纂所に所蔵された。 また小笠原長巨が交代寄合旗本(伊那衆)となった。ただし江戸に拝領屋敷はなく、千村氏の屋敷に間借りしていた。 明治時代になると、勝山藩主家は華族令により子爵に列せられた。 信之系(松尾小笠原):武蔵本庄藩(信之)→下総古河藩(信之、政信)→下総関宿藩(政信、貞信)→美濃高須藩(貞信)→越前勝山藩(貞信、信辰、信成、信胤、信房、長教、長貴、長守)
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