松下に入るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 08:27 UTC 版)
兵庫県津名郡浦村(現:淡路市浦字井上浜)に井植清太郎の長男として生まれる。生家は代々自作農で、かなり裕福だったが、父清太郎は百姓を嫌い、船に乗っていた。「清光丸」という千石船をもち大阪、九州、朝鮮あたりまででかけて自家貿易をしていた。 13歳の時、清太郎が急死し、後を継いで叔父の船で船乗りになったものの、石灰岩を積んで大阪港から安治川を上って西九条の石灰工場の下に着いた際に、乗っていた叔父の船が東京倉庫(現・三菱倉庫)の爆発に巻き込まれて炎上沈没、歳男らは浦へ命からがら逃げ帰る。死者43人、負傷者300余人という、大阪市の歴史に残る大惨事であった。そんな時、幸之助に嫁いでいた姉のむめのから手紙が届き、創業したばかりの松下電器製作所(現・パナソニック)で働くこととなる。1917年のことである。
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