東慶寺そしてルーズベルトとの会見 各国歴訪
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「釈宗演」の記事における「東慶寺そしてルーズベルトとの会見 各国歴訪」の解説
1905年、円覚寺派管長職と建長寺派管長職を共に辞して、鎌倉の円覚寺派の東慶寺の住職となる。この時、円覚寺派の管長に就任したのは、宗演の円覚寺修行時代の兄弟子である宮路宗海(相国寺 荻野独園の法嗣)であった。宗演は、以前来日して宗演に参禅していたアイダ・ラッセルの勧めもあって6月に、通訳として鈴木大拙、侍者として千崎如幻を伴い再び渡米することとなった。サンフランシスコのラッセル邸に約9ケ月滞在し、禅の指導をすることとなった。アイダは禅の実践を学んだ初めてのアメリカ人となった。 その後、ワシントンに行きルーズベルト大統領と会見して、鈴木大拙の通訳を介して世界平和について語り合ったと言われる。そしてアメリカからの帰りには足を延ばし、ヨーロッパ、アジアを歴訪し、更にインドに立ち寄って、翌年の1906年8月に帰国した。その年の11月には、徳富蘇峰、野田大塊、早川雪堂らによって「碧巌会」が結成され多くの名士が毎月、釈宗演の碧巌録提唱に聞き入った。
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