東北太平記
東北太平記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/14 14:19 UTC 版)
田名部乱の由来結果を記述したもので、『田名部御陣日記』がある。 護良親王の王子良伊王は、正平3年(1348年)、蝦夷地を管する北地王に任ぜられ北部王家といわれ、南北合一後も足利氏に下らず南朝恢復を志したが、5代目義純に至り上洛して将軍足利義量に謁し従五位上民部大輔に任官した。北奥の占有に野心を抱いていた重臣蠣崎蔵人信純の陰謀にかかり、王族一統が害された。擾乱を中央の許しを得て南部(八戸)政経が平定した。として、その資料と史実の真偽は明瞭にし難い。
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