東北太平洋地震の影響について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 01:00 UTC 版)
「出島 (宮城県)」の記事における「東北太平洋地震の影響について」の解説
2011年3月11日に発生した東北太平洋沖地震(東日本大震災)により、島の住宅はほとんど倒壊し、ライフラインが断絶、島を襲った津波で島民25名が犠牲となった。津波の高さは20m近くあったという。住民たちは山を駆け上り、女川町立女川第四小学校、女川町立女川第二中学校へと避難した。本土との連絡手段はなかったが、島内に2台ある衛星電話のうち1台が残っていたため連絡が付き、翌日には、生き残った全島民が島外に避難することが出来た。 2港の岸壁は、地震の影響で1m近く沈下した。2011年11月現在で、島に戻ったのは100人以下である。女川港との定期船は週3日2便になり、女川町国民健康保険出島診療所は閉鎖。出島簡易郵便局や宮城県漁協女川町支所出島出張所の再開見通しも立っていない。 島の復興案について、宮城県では、出島と寺間の両集落を集約して高台に移転する案をまとめ、住民に提示した。住民は「慣れ親しんだ土地での再建をしたい」と集約・移転案への反発もあり、平成26年度に出島地区、平成27年度に寺間地区にそれぞれ災害公営住宅が完成した。
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