来迎と浄土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 09:53 UTC 版)
浄土教の信仰では、阿弥陀如来を一心に信じる者の臨終に際しては、阿弥陀如来自らが聖衆(諸菩薩)とともに現前し、西方極楽浄土へ導くとされている。これを阿弥陀如来の来迎といい、この情景を絵画化したものが来迎図である。来迎は、教義的には本来は「来迎引接」といい、平安時代にはこれを「迎接」ということが多かった。浄土三部経の一つである『無量寿経』には、阿弥陀如来の四十八願の第十九願として、「人が菩提心(さとりを求める心)を発し、さまざまな功徳を積み、わが国(極楽浄土)へ生まれたいと願うなら、その人の臨終に際し、私(阿弥陀)が大衆(聖衆)とともにその人の前に現れる」(大意)との誓いが述べられている。 人間の住む現世(此岸)に対して、仏の住む国土を浄土という。浄土とは阿弥陀如来の西方極楽浄土に限ったものではなく、釈迦如来の霊山浄土、薬師如来の瑠璃光浄土、弥勒如来の兜率天浄土、観音菩薩の補陀洛浄土など、それぞれの仏菩薩に応じた浄土が経典に説かれている。ただし、阿弥陀以外の諸仏の浄土については、来迎について経典に明示したものはない。これに対し、阿弥陀信仰を説く経典やその注釈書は、阿弥陀聖衆の来迎、すなわち、仏菩薩の側が浄土から現世へ往生者を迎えにやってくることを明記している。
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