来日・外務省顧問へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/24 07:50 UTC 版)
「ヘンリー・デニソン」の記事における「来日・外務省顧問へ」の解説
1846年バーモント州ギルドホールで生まれる。ニューヨークのコロンビアカレッジ卒業後、1869年(明治2年)に日本へ渡り横浜の米国領事館裁判所判事となり、のち副領事に転ずる。1878年(明治11年)退職後、1880年(明治13年)5月に駐日米国公使デロングの推薦により、月給450円の待遇と「万国公法副顧問」の肩書きで、外務省のお雇い外国人となる(契約期間ははじめ3年、のち5年ごとに更改)。以後、1914年(大正3年)に没するまで、顧問の任にあり続けた。江戸時代は鎖国で200年近く、日本では外交が不在だった。そのため、外交の知識について当時無知だった日本政府にとって、デニソンは重要視されたのである。
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