村治敏男とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 村治敏男の意味・解説 

村治敏男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 13:43 UTC 版)

村治 敏男
生誕 1891年11月30日
日本 滋賀県
死没 (1969-10-23) 1969年10月23日(77歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

村治 敏男(むらじ としお、1891年明治24年)11月30日[1] - 1969年昭和44年)10月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

1891年(明治24年)に滋賀県で生まれた[1]陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第34期卒業卒業[1]1937年(昭和12年)8月2日陸軍歩兵大佐に進級し[2]8月7日関東軍野戦鉄道参謀に着任[2]1938年(昭和13年)6月4日に関東軍野戦鉄道参謀長となり[2]7月15日歩兵第22連隊長に就任した[2]

1939年(昭和14年)8月に陸軍少将進級と同時に第1鉄道輸送司令官に着任[1][2]1940年(昭和15年)6月26日参謀本部附となり[1]12月2日壱岐要塞司令官に就任した[1]1942年(昭和17年)6月に第2野戦鉄道司令官(北支那方面軍)に転じ[1]1944年(昭和19年)10月に陸軍中将に進級[2]1945年(昭和20年)1月20日東部軍司令部附[3]2月1日東部軍管区司令部附を経て[4]2月20日に大邱師管区司令官に着任[5]4月1日に大邱師管区司令官に親補された[6]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[7]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 718頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 335頁.
  3. ^ 第14号 昭和20年1月21日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120931700 
  4. ^ 第24号 昭和20年2月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932700 
  5. ^ 第37号 昭和20年2月20日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120934000 
  6. ^ 第75号 昭和20年4月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120938500 
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  村治敏男のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「村治敏男」の関連用語

村治敏男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



村治敏男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの村治敏男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS