本作の正統性への疑義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:03 UTC 版)
「テーバイ攻めの七将」の記事における「本作の正統性への疑義」の解説
全体の約五分の一にあたる861行以降の218行についてその正統性に疑義が生じている。 861~874行この14行は後代に付加されたと考えられている。861行でアンティゴネーとイスメーネーが登場していながら960行まで全く沈黙しており、それが「非アイスキュロス的沈黙」とされているからである。 なお、861行での姉妹の登場に関しては日本語訳において以下の差異がある。 人文『全集』 861行〔報せをきいて、二人の王の妹たち右方より急いで登場してくる。〕 鼎 『全集』 861行〔この時、柩の後よりアンティゴネーとイズメーネーの姉妹入り来るを認めて。〕 筑摩『文庫』 861行に姉妹に関する記述はなく、864行でコロスが二人の姿を認める事を詠っている。 岩波『全集』 861行に姉妹に関する記述はなく、864行でコロスが二人の姿を認める事を詠っている。 岩波『文庫』 861行に姉妹に関する記述はなく、864行でコロスが二人の姿を認める事を詠っている。 生活『悲壯劇』 861行〔此の時、棺の後よりアンティゴネーとイズメーネーの姉妹入り来るを認めて。〕 875行~960行この86行は正統性を支持する意見が多数である。しかし、写本間で話者指定が混乱している。 なお、話者指定に関して日本語訳において以下の差異がある。 人文『全集』 861行~960行までコロス、アンティゴネー、そしてイズメーネーが交互に哀悼の歌を詠っている。 鼎 『全集』 コロスが哀悼の歌を詠っている。 筑摩『文庫』 コロスが哀悼の歌を詠っている。 岩波『全集』 コロスが二手に分かれて交互に哀悼の歌を詠っている。 岩波『文庫』 コロスが哀悼の歌を詠っている。 生活『悲壯劇』 コロスが哀悼の歌を詠っている。 961行~1004行この44行は正統性を否定して削除する意見があるが、正統性が認められている。しかし、話者指定において混乱があり、コロスに指定する意見とアンティゴネーとイスメーネーに指定する意見とがある。 なお、話者指定に関して日本語訳はいずれも「時折コロスの詠を交えてアンティゴネー、イズメーネーが交互に哀悼の歌を詠う」様になっている。但し、筑摩『文庫』、岩波『全集』、岩波『文庫』は話者指定の混乱についての注記がある。 1005行~1078行この74行は正統性を支持する意見もあるが、ソポクレスのアンティゴネー競演後 にそれを基にして付加されたとの意見が大勢を占めている。 なお、この最終場面が後代の付加と考えられている主な理由は以下の通りである。 「テーバイを攻める七将」が競演された当時、ギリシア悲劇は二人の俳優しか登場できなかった筈であるのに、ここでは三人の俳優が登場している。 カドモスの都の評議会のアナクロニズム。 アンティゴネーの言う兄ポリュネイケースの弔いの仕方がソポクレスのアンティゴネーに酷似している。 などである。
※この「本作の正統性への疑義」の解説は、「テーバイ攻めの七将」の解説の一部です。
「本作の正統性への疑義」を含む「テーバイ攻めの七将」の記事については、「テーバイ攻めの七将」の概要を参照ください。
- 本作の正統性への疑義のページへのリンク