末は博士か大臣か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/10 03:02 UTC 版)
末は博士か大臣か(すえははくしかだいじんか)は、人間への期待を表す言葉、映画のタイトル。
概要
子供の将来を期待して用いる言葉であった[1]。博士課程を修了した人の職が不足したり、政治不信の時代にはあまり聞かない言葉となっている[2]。日本人がノーベル賞を受賞する時代では、大臣よりも博士に注目が集まる[3]。三省堂の編集部は、大臣というのは複雑化した課題への対応に追われ、新聞に批判されて、舌禍で更迭されたりすることからも末は博士か大臣かと言われなくなっているのだろうかとする[4]。これは福沢諭吉と菊池寛の言葉であるという記録がある[5]。
映画
1963年に大映が製作した映画のタイトル。監督は島耕二、脚本は舟橋和郎、フランキー堺などが出演。博士を目指すが記者になっている者と、大臣を目指すが貧乏書生となっている者の、若き日の2人の多感な男の友情を描いた作品[6]。旧制中学校5年生であった主人公は小説家を志し、旧制高等学校から旧制大学への進学を希望したが、家が貧乏であったために許されず高等師範学校に入学する。それから主人公は上京して高等師範学校を退学して旧制第一高等学校に入学。そこで芥川龍之介や久米正雄と知り合い、彼らと夏目漱石を訪れば、さらに文学への情熱が高まる。主人公は電車賃にも困る日々であったときに、質入した本が学校から盗んだ本であるという疑いをかけられたために退学する。それから主人公は大学検定試験に合格して京都帝国大学に入学する。その頃の芥川龍之介は文壇の寵児になっていたのに対して、主人公は誰にも認められていなかった。主人公は大学卒業後には新聞記者となり、苦労しながらも創作を続けていた。その頃に主人公の考えを聞いた者がそれを劇にした。劇は1920年10月に初演されて、そこではどよめくような歓声が起きて、その観客の中には芥川龍之介や久米正雄もいた[7]。
脚注
- ^ “「末は博士か大臣か」”. 西日本新聞me (2025年10月10日). 2025年10月10日閲覧。
- ^ SHIMBUN,LTD, NIKKAN KOGYO. “産業春秋/末は博士か大臣か”. 日刊工業新聞電子版. 2025年10月10日閲覧。
- ^ 産経新聞 (2015年10月8日). “【浪速風】どちらになりたい?「末は博士か大臣か」”. 産経新聞:産経ニュース. 2025年10月10日閲覧。
- ^ “第19回 末は「博士」か「大臣」か? | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム”. 三省堂WORD-WISE WEB -Dictionaries & Beyond- (2008年8月6日). 2025年10月10日閲覧。
- ^ 国立国会図書館. “「末は博士か大臣か」という言葉は、いつ、どこで、誰が言ったものか。 | レファレンス協同データベース”. レファレンス協同データベース. 2025年10月10日閲覧。
- ^ “末は博士か大臣か|一般社団法人日本映画製作者連盟”. db.eiren.org. 2025年10月10日閲覧。
- ^ “末は博士か大臣か : 作品情報・キャスト・あらすじ”. 映画.com. 2025年10月10日閲覧。
固有名詞の分類
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