木村恒久とは? わかりやすく解説

木村恒久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/17 19:57 UTC 版)

木村 恒久(きむら つねひさ、1928年5月30日 - 2008年12月27日)は、日本グラフィックデザイナー[1]東京造形大学客員教授。

人物

大阪市出身。1946年に大阪市立工芸学校(現・市立工芸高校)図案科卒[2]。1950年代にかけて大阪で精力的にデザイン制作や批評活動を展開、永井一正片山利弘田中一光らとともに「若手四天王」と称された。

1960年に上京し日本デザインセンターに入社、1964年に独立する[1]。この間の1962年、日本建築家協会主催の「モデュール展」で原弘と共同制作を行い、ADC銅賞を受賞している[1]。1964年の東京オリンピックではピクトグラムの制作に携わっている[3]

1966年には、前年に宇野亜喜良、永井一正、和田誠らとともに開催した展覧会「ペルソナ」で毎日産業デザイン賞を受賞している[1]

1968年頃からフォト・モンタージュ作品を数多く手がけるようになり、フォト・モンタージュの草分け的存在となった[4]。1977年、『季刊ビックリハウスSUPER』(『月刊ビックリハウス』の姉妹誌)にて「木村恒久のヴィジュアル・スキャンダル」の連載を開始、その原画展を渋谷パルコで開催し話題を呼んだ。1979年、作品集『キムラカメラ』を刊行する[1]。1980年、毎日デザイン賞(1979年度)を受賞する[1]

1981年には、池袋西武百貨店スタジオ200での『ボードリヤール・フォーラム'81』でジャン・ボードリヤールと討論を行った。

仕事に対する姿勢は厳しく、週刊文春のカラーページではトリミングが2mmずれただけで製版をやり直しさせるほどであった[4]

2008年12月27日、肺がんのため死去[1]。80歳没。

作品集

  • 1969年 『12人のグラフィックデザイナー第3集 伊坂芳太良,片山利弘,木村恒久,横尾忠則
  • 1979年 フォト・モンタージュ集『キムラカメラ』
  • 1980年 『キムラカメラ―木村恒久のヴィジュアル・スキャンダル』
  • 1985年 『フォト・マジック』『ニッポンの"ゑ" 現代トップアーティスト自選集6 木村恒久VS谷岡ヤスジ』『キムラカメラ オールド―木村恒久のヴィジュアル・スキャンダル』
  • 1997年 CD-ROM『ラスト・モンタージュ』
  • 1999年 モンタージュ集『What?』
  • 2003年 『木村恒久 ggg Books 42(スリージーブックス 世界のグラフィックデザインシリーズ42』
  • 2006年 モンタージュ集『ザ・キムラカメラ』

主な個展

招待出品

脚注

  1. ^ a b c d e f g 木村恒久”. 東京文化財研究所. 2025年2月18日閲覧。
  2. ^ 工芸ニュースvol.35-1(1967) p.72
  3. ^ 東京オリンピック1964のデザインを振り返る! Tokyo Design apartment
  4. ^ a b 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p111




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