最高裁判事就任後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:14 UTC 版)
「ルース・ベイダー・ギンズバーグ」の記事における「最高裁判事就任後」の解説
彼女が手がけた判決では、性別による差別的な取り扱いを認めたアイダホ州法を違憲とした判決(1971年)や、入学者を男子に限定していたバージニア州立軍事学校の規定を違憲とする判決 (1996年)などが知られる。 最高裁判事のなかでも保守派として知られたスカリア判事とは、法律や社会に対する信念は非常に異なっていたが、プライベートでは親しい友人だった。 2009年に膵臓がんと診断されたが引退せず執務を継続。2018年12月には85歳で転倒事故に遭い、肋骨を3本折る重傷を負ったが、その治療の際に肺の悪性腫瘍も発見され、緊急の摘出手術を受け、2019年2月に復帰。その後も入退院を繰り返しながら執務を続けた。 2020年9月18日、転移性膵臓がんの合併症のため87歳で死去。2010年にジョン・ポール・スティーブンス判事が引退して以降は、最高齢の連邦最高裁判事だった。 長女ジェーンはコロンビア大学ロースクール教授、長男ジェームズは音楽プロデューサー。夫のマーティンも2010年に死去するまでジョージタウン大学ロースクール教授だった。
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