曲の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 16:07 UTC 版)
「クライ・ミー・ア・リヴァー」の記事における「曲の沿革」の解説
元々、1955年の映画『皆殺しのトランペット』(原題 "Pete Kelly's Blues" 監督・主演 ジャック・ウェッブ Jack Webb)の挿入曲とするために作曲され、ゲストとして特別出演したエラ・フィッツジェラルドが歌うことを想定されていたが、この曲の採用は検討段階で却下され、エラはレイ・ヘインドーフ作曲のメインテーマ「Pete Kelly's Blues」など別の曲を歌い、ハミルトンの曲は別作品「ヒー・ニーズ・ミー」「シング・ア・レインボー」が劇中歌として映画で助演したペギー・リーに歌われるに終わった。 しかし、映画を企画したウェッブは「Cry Me a River」を惜しみ、当時自分と離婚したばかりで、元B級女優だが歌手志望でもあったジュリー・ロンドンに曲を紹介した。ジュリーは1955年にリバティ・レーベルで、バーニー・ケッセルのギターと、レイ・レザーウッドのウッドベースというデュオ伴奏で、この曲を録音した。このデビュー曲は同年、『ビルボード』誌のヒットチャートで最高9位に到達するというヒットを飛ばし、ジュリーは歌手としての評価を確立した。ジュリーの情緒綿々たる恨み節と、ケッセルの好サポートで、このオリジナルは高く評価されている。ジュリーは、翌1956年に映画『女はそれを我慢できない』("The Girl Can't Help It")にも特別出演してこの曲を歌い、曲の知名度を高めた。
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