昭和59年9月場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:45 UTC 版)
この場所の優勝争いは13日目の時点で1敗で西前頭12枚目・多賀竜が先頭に立ち、2敗で東大関・若嶋津と西前頭6枚目・小錦が追う展開となっていた。本来であれば14日目に若嶋津は東横綱・千代の富士と対戦するはずだったが、2人の平幕力士が優勝争いをしていたことで当時の審判部を悩ませた。その理由として、以下の5点が挙げられた:平幕で優勝争いをしている力士は、番付の位置に関係なく大関以上との対戦が必要だった。 若嶋津が優勝した3月場所と7月場所は、千代の富士が休場しており対戦がなかった。その間の5月場所では若嶋津は千代の富士に完敗している。従って千代の富士対若嶋津の対戦は若嶋津の横綱昇進を判断する上でも必要だった。 若嶋津は小錦に敗れており、優勝争いの点でも1敗の多賀竜との対戦は必要だった。 小錦は横綱隆の里を下しており、優勝争いを考えると千代の富士との対戦は必要だった。 千秋楽の横綱対決(千代の富士対隆の里)は外すことができない。 ※結局14日目に組まれた割は多賀竜対若嶋津と、小錦対千代の富士であった。千秋楽結びの一番は千代の富士対隆の里が組まれたことによって若嶋津にとって唯一の対横綱戦である千代の富士戦がなくなってしまった。これにより横綱昇進を判断する材料を協会自ら消したのではないかと、相撲協会の取組編成のやり方が当時問題視されたが、結果的に若嶋津は多賀竜に敗れて3敗となり、優勝も横綱昇進も逃した。
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