昭和後期まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/26 08:52 UTC 版)
「金名の郷頭」が造られたのは200年以上前だと考えられている。1840年(天保11年)の豪雨では、上流にある切池の堤防が決壊して大水が押し寄せたが、「金名の郷頭」がそれを食い止めたという伝承が言い伝えられていた。上部の通路は、府中市本山地区と常金丸地区を結ぶ重要な交通路として1900年代半ばまで利用されていた。常金丸側には街道を行き交う人々の休憩所として江戸時代に建てられた辻堂が現在も数カ所残されている。1906年(明治39年)、常金丸地区と本山地区を繋ぐ県道が造られ主要交通路としての役割が失われたが、昭和30年頃までは地元の住民の生活道路として「金名の郷頭」は使用されていた。「金名の郷頭」は一度も決壊したことがなく設置後長年経過したため、近隣住民は単なる石垣としか認識しておらず、治水上の意義や文化的な価値について知見は失われてしまった。
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