映画と天龍寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 04:21 UTC 版)
天龍寺は明治の活動大写真の時代から、京都の映画人に愛され、映画のロケ地に数多く使われた。現在では映画のロケは断っているが、撮影所や嵐山電車からの近さ、武家屋敷のようなたたずまいや、近くに渡月橋や峡谷もあり、変化の多い風景から大正時代には毎日一、二組がロケをするほどだった。明治45年に日活が創立されると、1月、2月には必ず大雪になるというので、毎年のように尾上松之助主演の「忠臣蔵」雪中討入りの場面がここで撮影された。 戦時中は出征も戦没もすべて神社優先となり、寺院は経済的に苦しくなり、稲垣浩監督は天龍寺から「たまにはロケをしてくださいよ」と頼まれたことがあったという。戦後、『柳生武芸帖』(稲垣浩監督)での三船敏郎と鶴田浩二の大チャンバラや、『大岡政談 完結篇』(伊藤大輔監督)での、大河内傳次郎の丹下左膳が死の決心をする悲愴な場面はここで撮られている。
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