旧制工業学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 05:38 UTC 版)
「大阪府立都島工業高等学校」の記事における「旧制工業学校」の解説
1907年5月、市立大阪工業学校として大阪市北区北野牛丸町に創立した。学校発祥の地は、現在のJR大阪駅北口付近にあたる。開校当初は、小学校高等科卒業者を入学資格とした4年制の学校で、本科に機械科・建築科を設置した。また小学校尋常科を入学資格とした選科に、機械科・建築科・分析科・家具科を設置した。 1920年には大阪市立工業学校に改称した。この際に、選科制を廃止し専修科(中学校卒業者を対象にした2年制)に改編、電気科を新設、分析科を応用化学科に名称変更などがおこなわれている。 1923年12月には、応用化学科を大阪市立泉尾工業学校(現在の大阪府立泉尾工業高等学校)に移管した。当時の大阪市の方針により、泉尾工業学校の開校に伴い、市立工業学校は機械・電気など物理系を中心にして、臨海部に立地する泉尾工業学校を化学工業系を中心とした学校にする役割分担を図ったことが学科移管の背景にあった。 大阪駅の拡張工事のために敷地が立ち退きになったことに伴い、1925年12月に北区(当時)善源寺町の現在地への移転をおこなった。 1926年4月より大阪市立都島工業学校へと改称した。その際に予科および専修科を廃止し、6年制の工業学校となった。 1943年には高等課程として大阪市立都島高等工業学校を分離し、同校内に併設した。また同年、中等学校令の実施にともない、修業年限が4年に短縮となった。 1947年4月には、戦災で校舎を焼失した大阪市立酉島工業学校を合併した。
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