旧・福島県立郡山西工業高等学校
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「福島県立郡山北工業高等学校」の記事における「旧・福島県立郡山西工業高等学校」の解説
1963年(昭和38年)2月4日 - 「福島県立県南工業高等学校」(仮称)開設準備事務所が設置され事務を開始。大槻町字上篠林地内を校地に決定。 3月5日 - 校舎完成前の間、郡山市立芳山小学校旧校舎(東校舎(12教室))の仮校舎使用を決定。 4月1日 - 「福島県立郡山西工業高等学校」が開校。全日制課程3学科(機械科・電気科・化学工学科)を設置。 1964年(昭和39年)3月9日 - 新校舎が完成し、移転を完了。 1975年(昭和50年)9月9日 - 福島県教育委員会により、福島県立郡山工業高等学校との統合移転計画が発表される。 1977年(昭和52年)4月1日 - 福島県立郡山工業高等学校と統合し、「福島県立郡山北工業高等学校」となる。統合校舎完成までの間、「大槻校舎」として校舎等の施設は使用を継続される。 大槻校舎には福島県立郡山高等学校(全日制課程普通科)が新設され、当面の間併設の形をとる。 1978年(昭和53年)3月31日 - 工業高等学校の校舎としての使用を終了し、校舎等の施設がすべて福島県立郡山高等学校に移管される。
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