統合校
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旧・桜川国民学校は、1908年5月15日に大阪市難波第七尋常小学校として創立した。難波小学校より分離して開校している。1921年に大阪市難波桜川尋常小学校と改称し、また1941年に大阪市桜川国民学校と改称した。1944年以降の学童疎開では、滋賀県滋賀郡小松村・木戸村(いずれものちの志賀町・現大津市)への疎開を実施している。1945年の大阪大空襲では校舎被災は免れたものの、校区に重大な被害を受けた。 旧・芦原国民学校は、1921年大阪市難波第九尋常小学校として創立し、直後に大阪市難波芦原尋常小学校と改称した。1941年大阪市芦原国民学校と改称した。1944年以降の学童疎開では、滋賀県栗太郡葉山村(現栗東市)への疎開を実施している。1945年3月の大阪大空襲では校舎を半焼した。 桜川・芦原の両校とも、太平洋戦争の戦災に伴う学校・校区の被害により、立葉国民学校に統合される形で1946年に廃校となった。 桜川国民学校の跡地は、校舎を米軍に接収された大阪市立大学が仮校舎として使用し、次いで大阪市立浪速西中学校(現・難波中学校)へと転用された。難波中学校が現在地に移転したのち、UR都市機構桜川住宅となっている。また芦原国民学校の跡地は東洋紙業となっている。
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統合校
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