旧・琉球新報→沖縄新報
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1893年9月15日 - 沖縄県初の新聞として、隔日刊新聞「琉球新報」が発行される。尚順が社長、太田朝敷が編集担当。社屋は那覇西村123番地。紙面は縦35.6 cm、横28.5cmで4ページ建て、隔日刊。(現在の同紙とは題字が同一だが、企業体は別である)。 1906年 - 日刊紙となる。 1914年4月25日 - 紙齢(号数)5000号を数える。 1915年6月16日 - 記事「飛行機の話」に言文一致の新聞文章が沖縄県内で初めて使われた。 1940年沖縄県庁と日本民芸協会の柳宗悦との間で「沖縄方言論争」が起こった。沖縄県庁の「標準語励行」推進方針に対し、柳は沖縄語(琉球語)の重要性を指摘して批判したが、琉球新報は沖縄県庁の側を支持し「標準語推進」の論陣をはった。 12月20日 - 全国的に行われた「一県一紙化」を目的とする政府指導により「琉球新報」、「沖縄毎日新聞」、「沖縄日報」の三紙が統合し、新たな新聞「沖縄新報」を発行した。 1945年3月23日から始まった沖縄戦の最中も、首里城地下の32軍司令部壕の近くにあった新聞社壕で発行が続けられた。壕内の新聞発行は元「沖縄朝日新聞」記者らが中心となって発行を続けており、元「琉球新報」記者はすでにこの時点で制作に携わっていなかった。同年5月27日に第32軍が沖縄本島南部へ撤退したため、新聞発行を続けることが困難になり事実上終刊。全国で唯一、戦争によって廃刊された新聞となった。
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