日越貿易会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/23 14:51 UTC 版)
Jump to navigation Jump to search
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年7月) |
日越貿易会(にちえつぼうえきかい)は、1954年7月21日のジュネーヴ協定成立後、日本と当時のベトナム民主共和国(北ベトナム)との間での貿易再開を目指して、1955年に設立された、日本の貿易団体。
太平洋戦争後、日本がベトナム共和国(南ベトナム)に対してのみ国家承認・戦時賠償をおこなったことから、日本が(パリ和平協定締結後の1973年9月に)北ベトナムを承認するまでは経済交流の窓口機関の一つであった[1][2]。
沿革
設立から南ベトナム賠償協定まで
- 1954年11月21日 :北ベトナム側との最初の交流が行われる。
- 1955年
- 1956年
- 1957年1月23日:貿易会代表とベトナム側が、ホンゲイ炭(ハロン市を参照)を中心とした商談を実施。
- 1958年
- 1959年5月13日:サイゴンで日本(全権代表は外務大臣の藤山愛一郎)と南ベトナムが「日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定」を調印する。日越貿易会は無協定下での継続を北ベトナムに認められる。
ベトナム戦争終結まで
- 1962年
- 1963年8月19日:ハノイで貿易会とベトナム商業会議所との間で「貿易と決済に関する日越貿易会とベトナム民主共和国商業会議所の議定書」を締結。
- 1966年
- 1968年9月7日:貿易会とベトナム商業会議所との間でポンド建ボンド決済、スイス・フラン・クローズ付き価値保証決済方式を確認。
- 1971年
- 1972年4月16日:米空軍がハノイ、ハイフォンを爆撃(5月24日以降ホンゲイ炭の輸入を中断)。
- 1973年3月:第三国中継でホンゲイ炭の輸入を再開。
ベトナム戦争終結後
脚注
- ^ ベトナムの基礎知識13 明治以降の日本との関係 - 日本ベトナム友好協会大阪府連合会
- ^ a b 日越経済関係史 戦前の日本商と漆貿易 (PDF) - 北海道大学地域経済経営ネットワーク研究センター年報No.4、2015年
- ^ すでに南ベトナム政府は消滅していたが、この時点では南ベトナム共和国臨時政府がベトナム南部の施政権者であった(ベトナム社会主義共和国が成立して南北が統一したのはこの年の7月)。
- 日越貿易会のページへのリンク